「辛い」は「幸せ」までにあと1つ
最近、良く人の「不幸話」というものと縁のある十三の美容室HairsalonSpoonの杉山です♪
人によって、「今」っていう器の中で、嫌な事や、落胆する事ってあると思うねんけど、杉山的解釈でいけば、
「そら、あるやろ?」
って、事が多い気がするんですよね。
例えば、「離婚」で悩んでる話を聞いてると、大体が本題から反れて、何か別のナニカと天秤にかけてるだけな様に聞こえる事が多い。
その「ナニカ」ってのが、何なのかは人それぞれ違うし、何で悩んでるかを共感するのは難しいと思うんよ。
ハッキリ言ってその輪の中にいない人に相談した処で、欲しい答えと全く違った答えが帰って来ることは安易に予想できるはずでしょ?
離婚で出てくるパターンで一番聞くのが、
『子供』。
そら、一番の被害者は子供でしょうね。
ただ、杉山は理由によると思うけど。
自分の離婚を、子供中心に考えると色々とブレると思う。良くも悪くも。
もし、相手が暴力や、罵声を浴びせるような相手なら子供も萎縮してしまう。
それなら、まだしも、「自分ばっかり」とか、「お前もやん!」の積み重ねで相手の文句ばかりなのはちょっと理解不能というか、
大人なんでしょ?
子供に喧嘩したら、話しなさいって教えるんでしょ?
自分が悪かったらごめんなさいでしょ?
今は、昔みたいに黙って付いて来い!みたいな時代じゃないんで。
それくらい、言わなくてもわかるでしょ?って、黙ったままそこまで伝えられる程の能力を持った人は極稀じゃないんかな。
結論から言うと、
非を認めながら話し合いなさい。
あと、ツラいってのはその時の、そのくくりに縛られてるからで、少し離れて考えれば大した事じゃないことが殆どじゃないんかな?
逆に、
『幸せ』
ってのが、自分はよく分からないけど、不幸じゃなければそれは多分幸せやし、考えたことを答えに出来ない時点で僕は幸せなんやと。
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